2020/08/31


私が10ヶ月の時から住んでいるマンションの裏側に2棟とても古い建物が建っている。すぐ裏の建物は一般住宅でおそらく昭和の初めごろに建てられたもの。その隣に4階建ての鉄骨造のアパートが建っていてさらに古く関東大震災のすぐ後に建てられたという。
その初代のオーナーがドイツに住んでいた方で当時のドイツのアパートの図面をそのまま日本に持ってきて日本の工務店に建てさせたのだそう。
50年も今のマンションに住んでいるのに、そんな歴史を知ったのは実はつい数ヶ月前。うちのマンションに住んでいた知り合いが最近そのアパートに引っ越して
「一度見学にきたら?」
と言ってくださったので中を見る機会と、その歴史を詳しく聞く機会を得た。
子供の頃、この二棟の建物にはピノキオに出てくるおばあさんが住んでいると思っていたし、今でもその二棟の横を通る時はタイムスリップしたような気分になる。
区の保存建物などに指定されているわけでもなくただそこに普通の「家」「アパート」としてあまり保存状態もよくない感じで日常の中にあるので余計にタイムスリップ感がある。
この時代に職人が作ったものをなんどもペンキなどで補修しながら使い続けられ、そして今はただ古びただけになっているもの。そういうもののはなぜ心を打つのだろうか。
昨今のロートアイアンの職人が作って似たような取手も何十年も経つと同じ輝きを放つのだろうか。
「歴史には叶わない」
というのは簡単だ。若い頃そう言った時数年上の先輩に
「それはデザイナーとしての逃げだよね」
と言われたことを思い出す。
でもこうして時を経てなお輝く美しい建築物、そして建築物の一部を見る時
「歴史には叶わない」
って思ってしまう自分はきっとまだまだ青二才なんだと思う。
でも書いていて気づいた。
今日完成したばかりの家(私の場合は門や庭)は確かにピカピカツルツルで味わいに欠けるかもしれない。
でもその家を少しずつ改良したり手を加えながらも何年も何十年も愛し続けて使ってもらえるようなものを作れば、100年後その建物は残り、私が今美しいと思って見ている裏の二棟の建物になれるんじゃないだろうか。
まずは引き渡した時に「大事にずっと住み続けたい」と思ってもらうものにすること。
それが何より最初なんじゃないか。そこが始まりなんだ。そう思った。
そして素材を選ぶ時には「時を経て味わい深くなるか」を基準に選ぶ。
そうすればうまくいけば100年後……。
未来の誰かが未来のSNSでこうやって写真をアップしてくれるかもしれない。
そうなるって信じてやるっきゃないんだ。未来なんてわからないんだから。
先日一昨年竣工したお客様に「春になりましたが、楽しんだガーデンライフをお過ごしですか」というメールをお送りしたら、昨日の朝お返事が来て、ちょっとパーゴラに手を加えたいとのお返事。
こういうお仕事って嬉しい。
まだたった2年だけど、お客様に愛されて、使ってもらっているのを実感できる。この2年は100年後に続くかもしれない2/100だから……
トップの写真はそのアパートの玄関のガラスの飾りです